唐陞 (トウショウ)
三師兄
唐陞キャラクター情報
「師弟よ、情に発して礼に止まるという言葉がある。程々にしておきなさい。」
単字の名は唐陞。唐門掌門の第三親伝弟子。
既に習得した武芸を持って入門したため、二人の師兄より年長である。かつては志を遠大とする読書人であったが、権貴に恨まれたため江湖を避けた。
興味は説書であり、英才を教化し、天下のことを笑談する。
列伝
唐門掌門が三番目の直弟子。
若い頃は熱情を抱き、十数年を勉強に励み、
功名を得て、才学見識を国のために用いることを誓った。
豈図らんや、権貴の怒りを買い、科挙に落第し、死を覚悟した。
幸いにも、彼は後に掌門となる唐中翎と、同じ東屋で雨宿りをした縁があった。
危難の中、唐中翎に救われ、生と死の間を一度歩いた彼は、万念が尽いた果、朝廷に報おうとする念を絶ち、唐門に入門した。
興味は講談、暇があれば江湖の事を笑談し、
血生臭さいことを語らずとなれば、自ずと豁達である。
若い頃は熱情を抱き、十数年を勉強に励み、
功名を得て、才学見識を国のために用いることを誓った。
豈図らんや、権貴の怒りを買い、科挙に落第し、死を覚悟した。
幸いにも、彼は後に掌門となる唐中翎と、同じ東屋で雨宿りをした縁があった。
危難の中、唐中翎に救われ、生と死の間を一度歩いた彼は、万念が尽いた果、朝廷に報おうとする念を絶ち、唐門に入門した。
興味は講談、暇があれば江湖の事を笑談し、
血生臭さいことを語らずとなれば、自ずと豁達である。
生い立ち
- 元の姓は「房」。
- 嘉定元年・戊辰科の貢士だった。殿試で同じ科の貢士・趙汝讜と論争になり、朝政をみだりに論じて権臣を批判したため、その言葉がもとで罪に問われ、功名を剥奪されて刑部で斬首と決まった。
- 掌門の唐中翎が幼い弟子二人を連れて臨安の清波門の外で刑場を襲い、逆賊・呉曦の首と引き換えに命を救った。
- 三十を過ぎてから入門した。四師兄が拾われた日から数えると刑場破りは約18年前なので、48歳と推定される。
- 刑場破りの場面で白髪なのは、若いころの立ち絵が用意されていないためにすぎない。[1]
労苦
- 普段は講経楼で忙しく働いていて、最後に横になって眠ったのがいつだったかも覚えていない。仕事の途中で机に突っ伏して気を失うこともしょっちゅうだ。
- 鳥熊によると、三師兄は向無憂より働き詰めだという。なにしろ峨嵋派は借金がなく、弟子が騒ぎを起こすこともない。
つらすぎる[2] - 鳥熊によると、三師兄の過労は命に関わるほどで、自分たちより疲れているという。[3]
- 胃気上逆の持病があり、食べすぎると夜中に咳き込む。
備考
- 温厚で博識だが、頭が固い。聖賢の書を読み、礼節をとても重んじる。
- 噂を真に受けて、唐中翎を凶悪で王法を顧みない無法者だと思い込み、本人に暴言を吐いたことがある。
- 武器は一見すると外に出ている脱手鏢だが、本当の決め手は袖に隠した扇子だ。
- 星座は五月の牡牛座。[4]
- 趙活は、自分が山を追い出されたら新しい魔教を作って「唐陞教」と名付けると言っている。
- DEMO版の江湖の噂では、三師兄は六十を過ぎた老婆ばかりをさらって部屋に閉じ込め、旧魔教に伝わる邪悪な魔功を一緒に修練し、老いらくの恋に落とさせるという。
- 留学に行かなかった趙活が気落ちして下山するとき、長年肌身離さず持っていた本命銭を旅費として渡し、師兄たちからの餞別だと言った。
- 大師兄が下山するたびに、いつか嫁を連れて帰ってくるのではないかと気が気でない。
- 葉雲裳から「お爺ちゃん」と呼ばれている。
Contributors
Changelog
PTT C 洽 - [活俠] 龍湘与奇怪的小知識 P3 ↩︎
Facebook - オリジナル鳥熊2022/6/10 ↩︎
Facebook - オリジナル鳥熊2023/3/24 ↩︎