嵩山派 (スウザンハ)
中原六大派の筆頭だったが、決戰極樂教の舊魔教との戦いで元気を失った。その後全真派が台頭し、各地の僧廟の住職たちは次々と還俗したり改宗したり、寺を離れて雲遊するようになった。香火が衰えた廟宇は人に棄てられた。各地でこの現象が起きている。
嵩山派は河南本院(北院)と福建分院(南院)に分かれ、同じく仏法を修めるも、創寺以来各自為政し、河水不犯井水の関係である。しかし江湖人は混同して、両者を一括りにする。本院は極樂教一役で身を殺して道義を成し、福建分院は大した力を貸さなかったのに、本院の光を浴びて多くの恩恵を受けた。
福建嵩山は富裕だが、河南嵩山は貧困である。河南本院は金人に占領され、寶刹は毀損され、今なお募金して再建中である。甚だしくは河南嵩山はもはや六大派の筆頭たる資格なく、福建嵩山こそが宋國の嵩山派であると主張する者もいる。
嵩山武功
嵩山は天下の武学源流である。金鐘罩、獅吼功、易筋經、鷹爪手、金剛腿、鐵砂掌など、いずれも名高い絕學である。しかし現在、嵩山武功は江湖中に流出してしまい、路上の露店でも買える有様である。
最も優れているものは何か。唯一古今四大絕技しかない。破体無形気勁、嵩山派奥義『金剛神槍指』。ただし嵩山派は二十年前の極樂教一役で覆滅し、此の技が失傳したか、いや本当に存在するのかすら、衆説紛々であり、崆峒派の御劍術と同じく江湖の伝説である。現在では信じる者は少なく、大多数は『那由它劫指』が至高の武学だと認識している。
丐幫幫主王二壯は嵩山俗家弟子で、春眠大師の伝人であり、金剛神槍指を練成した。江陵決戦で一指を放ち瑞笙を説き返した。臥雲崗の唐布衣大師兄も石幫主の護体硬気功を一撃で穿ったことがあるが、実は暗器『無形箭』を使っていた。
南院心魔
数年前、釋明は德高い僧であり、若くして嵩山南院方丈の職に就いていた。一念の慈悲で唐門の宿敵を庇護したため、唐中翎が寺外で数十回激しく叩いた。その夜、雷電が交錯し、閃光のたびに窓外に人影が映り、鬼のようだった。
衆僧は皆、邪祟降臨と言い、一斉に経を誦した。掌門の性格は乖戾だったが、極めて僧佛を礼敬し、梵音が絶えなければ、彼も一言も発さず、天明に至ってようやく去った。
その夜の寺中の僧人は皆心魔に患い、釋明もまた例外ではなかった。方丈の袈裟禅杖を返納し、入世して雲遊普法した。しかし数十年晃眼経ったも、悪夢から逃れられず、反って心に恐怖を懐いて悪念を滋生し、唐門を毀す計を立てた。
十八銅人
「我ら十八個が、お前ら人生最も険しき路である!」
十八銅人羅漢陣は、人手一棍で陣を結成し、前に立ちはだかる。和尚も木人巷を抜けられず、俗人も羅漢堂に入ることができない。
西武林ルート、若し福韞の好感度2★ならば、嵩山十八銅人が登場する。十八銅人は各々異なる兵器に秀で、刀槍棍劍鍬、福韞は口を得意とし、口動けば山河も動く、非常に厳しい。
此等の黄金の和尚は人を殺さないが、手加減とは言えず、十八般武藝が自身に総て招かれる時、此の金色禿驢は本当に手ごわいと知るだろう。本来心魔がなくても、打たれて心魔を生じるほど。嵩山弟子は木人巷を聞けば皆、おののく。
金漆は胆を鼓舞して面子を張るため、身に塗られただけである。