丐幫 (かいほう)
天下第一の大幫。幫衆は一万を超え、その全員が乞食であり、各地に分舵を構える。
衣の懐が多い乞食ほど地位が高く、六袋弟子以上だけが伝功長老から武功を授けてもらえる。それ以外の乞食は下劣な手管に長けており、石灰粉・蒙汗薬・排泄物・蛇放ち・犬放ちと、あらゆる汚い手段を持ち出し、正派の体面など気にしない。
飯にありつくためなら、盗み・強奪・かどわかし・詐欺、果ては採生折割まで何でもやる、いわば乞食の格好をしたごろつきである。王二壯の一派が台頭して俠義を掲げ、こうした悪習を禁じてから、ようやく持ち直した。
その実態は泥教の畜生道である。
新旧両派の争い
丐幫には新旧両派があり、新派は現幫主の王二壯が率い、行俠仗義を掲げる。旧派は古い世代の乞食たちで、やり口は悪辣で薄汚く、俠義の二文字とは縁もゆかりもない。
かつて旧派はあらゆる悪行を働き尽くしていたが、王二壯が丐幫大会で旧派長老の千金叟を一撃のもとに打ち殺し、その遺児李富貴を義子とし、新派の弟子を率いて台頭。丐幫積年の悪習を一掃し、行俠仗義を大いに広め、丐幫はようやく黒から白へと生まれ変わった。それでも旧派はなお勢力が大きく、「新派は偽者だ、乞食に堕ちておきながら清らかぶるとは」と罵る一方で、新派が稼いだ美名にはちゃっかり相乗りしている。
のちに王幫主は仁義礼智信の五大分舵を招集して江陵城を攻め、自らが畜生道法王である身分を明かし、これをもって朝廷と江湖の人間を協力させ、朝野の関係を調和させた。旧派は老いや病を口実に戦を避け、損害の七、八割は新派の人員が被った。大戦の最後には李富貴が大義のために親を滅し、新幫主に就任。旧派長老を再登用したが、長老たちが大権を独占し、新派は圧迫を受けることとなった。
本来の王幫主の計画では、李富貴が幫主就任後に旧派を牽制し、間に立って新旧両派の内耗を和らげ、長老たちが寿命で世を去るのを待って旧派の勢力を引き継ぎ、丐幫を統一するはずだった。しかし風雨山大会で事態は急転直下、南宮家主が死亡し、世に唐門を守る者がいなくなる。朝廷が唐門を滅ぼせば情勢は崩壊し、もはや誰も朝廷に逆らえなくなる。権貴が何憚ることなく振る舞うようになれば、乞食の良い日々も終わりを迎えるのだ。
李富貴の好感度が十分に高ければ、武林盟討伐の前夜に唐門を訪れ、王幫主と溫夫人が共に練った遺策「西武林の設立」を献上する。彼自身は人質として唐門に留まって丐幫を牽制し、新旧両派に争いを起こさせ、武林盟主を調停に忙殺させることで、兵馬を募る時間を稼ぐのである。
最終的に新旧両派は決裂する。顔の広い旧派長老は武林盟の支持を受け、新派は指導者を失って烏合の衆となるが、李富貴が現れて規律を立て直し、唐門の後ろ盾となる。
分舵
丐幫の分舵は各地に広がっており、判明しているのは以下の通り:
- 大仁:江陵府にある。旧派。安濟坊で騒ぎを起こしたことがある。
- 大智:錦香宮の近くにあり、おそらく湖南。
- 大義:四川蜀中にある。新派。詳細は後述。
- 大信:所在不明。
- 大勇:南方にある。
- 大禮:所在不明。
大義分舵
最も義理堅く、唐門と一番仲の良い分舵で、しょっちゅう一緒にじゃれ合っては火鍋をつつく仲。大雨のたびに市場が野菜や果物を投げ売りすると、安値の品を奪い合って両者は乱闘になるのだが、殴り合いが済めば敵も味方もなく、勝った側が負けた側に飯をおごる。
救いようのない線では、李幫主が大義分舵の楊舵主を総舵の伝功長老へ昇進させる。実際は栄転に見せかけた左遷で、権限を骨抜きにして監視するためであり、さらに大義分舵の乞食たちを江陵府へ移住させ、襄陽の抗金戦線の後詰めに充てる。
西武林ルートでは、四師兄を大義分舵の説得に派遣できるが、新舵主が丐幫長老の送り込んだ間者だと発覚する。大義分舵を監視し、言質を取り次第、新派の一党を粛清するのが狙いである。結果次第で、大義分舵は傍らに伏せていた大仁分舵に殲滅されて江湖から姿を消すか、あるいは舵主の正体を暴き、大義分舵を外堡に引き取って落ち着かせ、幫衆は唐門の外姓弟子となる。