決戦極樂教 (決戦極楽教)
約二十年前、西域の極樂教が武林に大きな脅威をもたらし、勢力を急速に拡大していた。大々的に兵を募り、西夏と裡応外合して河西回廊を奪い、南北の交通路を断ち、大宋と金国の咽喉を握って、中原を奴隷化する企てを持っていた。
嵩山派の高僧は衆生の苦しみを憐れみ、身を捨てて正義を貫いた。その行動に感銘した武林の各派の首領は、かつての対立を捨てて、新任の武林盟主龍淵の指導の下、心を一つにして極樂教を討伐した。
万仙陣は嵩山派と唐門が力を合わせて破壊し、極樂七仙は全員討ち取られた。戦闘の最終段階では、錦香宮の温夫人が策を献じ、西夏の援軍を断つことで、極樂教の首領を華山に追い詰め、やむなく正派聯盟と決死戦を行わせることになった。
- 唐門の唐中翎は毒薬を飲んで功力を無理矢理高め、飛燕流星翎で右護法を誅殺した。ただしこれ以来、病根が残ることになる。
- 左護法は青城の趙逵を打ち破ったが、逃げおおせた。多年後に再び現れたが、心が崩れ、心から魔が生まれ、今日の泥教の地獄道法王となってしまった。
- 盟主龍淵は天觴剣を握り、死を覚悟して《天罡伏魔剣》で鬼蓮王刀を破り、万悪の首魁「快活王」を誅殺した。龍淵の行方は不明となる。
この決戦は、目撃者は稀であり、結末はなおさら哀切であった。唐門と嵩山派の両派は元気を失ったが、嵩山はなお世人から尊敬されるのに対し、唐門は人々から打たれた犬扱いされることになったのだ。
翼王の背信
この戦いで死傷者は多く、極樂教は滅亡したが、正道も大打撃を受けた。ただし龍淵の計画では、このようなことにはならないはずだった。
龍淵の義兄弟である金国皇帝、翼王完顏珣は、当初は援軍を派遣して「趙を囲んで曹を救う」作戦を約束していた。だが最終的には岸から眺めるだけに決め、武林人士と極樂教が激しく戦う間に、漁夫の利を得ようとし、後日また宋国に兵を侵して騒ぎを起こした。
龍淵は戦後、翼王の不義を責めるために訪ねたが、翼王は不義ながらも、龍淵は昔日の情義を忘れず、結局手を下すことはできなかった。ただ自分の右腕を切り落として、彼の罪を贖わせることにした。中原の豪傑たちに顔向けできず、また娘の龍湘が巻き込まれることを懸念し、身分を隠して丐幫の中に紛れ込むことにしたのだ。
備考
- 当初は三対三ではなく、五対五だったという説もあり、例えば唐中翎の列伝では正派代表が五人いることが述べられている。もしかして初期設定では左右使と左右護法が四人だったのかもしれず、鳥熊はこれについてノーコメントとしている。[1]
- 左右使は一部のテキストで矛盾があったが、v1.0.3202で左使は逃亡、右使は唐中翎に殺されたと統一された。
- 左護法の後の活動は、朝野を震撼させた「白風峒変乱」という事件を引き起こし、最終的に唐布衣、解無塵、夏侯蘭及び他の二人によって討ち取られた。
- 右護法は奇毒の《屍心蟲》を使い、正道の武林人士を支配していた。唐中翎が無理矢理出手した理由は、『屍心丹』に中毒していた師妹を救うためだったと思われる。
- 巴哈によるこの戦役の地理的考察:リンク
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PTT C洽-[活俠] 龍湘と奇怪な小知識P3 ↩︎