南宮世家
南宮世家は江陵府に位置し、「武林の心」と呼ばれ、江湖の調停役である。処世は最も公平公正で、大同を宿願とする。武林世家であり書香門第でもあり、武状元を輩出したこともあれば、武林盟主も出した。交友が広く、いかなる江湖の風波に見舞われようとも、数百年の長きにわたり不朽のまま聳え立つ。武林中で南宮の大名を知らぬ者なし。南宮世家に逆らえば、同時に八割の武林人を敵に回すと言われている。
一族の者は皆、肩甲と披風で身を飾り、威風凜凜としている。これは彼らの誇り、独立した存在であることの証だ。歩くだけで人に刺さるほど。さらに腰帯に月牙型の尖刺を付ける者もあり、狂気の沙汰である。
南宮家学は悠久綿長の防御戦略で知られており、南宮風流扇は攻防一体、儒風深く、傲らず、気を落とさず、謙虚にして調和を成す。家伝の内功は護心を根本とし、玄関に意識を留め、思念を鎮める。「虚懐若谷、万物斉一」の境地を旨とするという。伝え聞くところでは、太上家主の南宮橫は百歳にしてなお頭脳明晰、理路整然としており、これは南宮心法の効能だという。
唐門とは世交で友好関係にある。南宮遠と温夫人の一段の往事により、錦香宮との関係は相容れぬものとなっている。
肩甲
この伝統は南宮高祖・南宮智の代より始まり、二つの主な理由がある。
その一は、当時の汴京一戦で、金軍を威嚇するには自分たちの強大さを誇示する必要があった。肩甲を豪華に作り、金兵が遠くからでも見えて、恐れを抱くようにしたのだ。
その二は、それが邪魔になることである。肩甲と披風が対戦時に相手を妨げ、自身も妨げる。敵が肩甲を邪魔だと思えば、肩甲で保護されていない箇所を狙わざるを得ない。多くの道を意外と塞ぎ、敵が予想通りの招式を引き出すように誘導する。敵を知り己を知れば、百戦して殆うからず、というわけである。[1]
唐布衣飛俠は肩甲を支持しない。推測では軽功を施展する際に転角で肩甲に引っかかり、着地の際に十分に勢いを止められず衝突する危険があるからだろう。
肩甲は確かに威風があり、無作法な下俗な武林人が肩に手をかけるのを防ぐ。人々と礼儀正しい社交距離を保つことができる。しかし門に引っかかりやすいため、南宮世家は通常、門戸を大きく開け、おおらかに見える。[2]
南宮家の女子は自分たちで肩甲を改造する権利がある。だが大きさと素材は地位によって決まり、本家の女子でなければ勝手に金を使えば罰せられる。また南宮一族から追放された者は肩甲を没収される。[2:1]
鳳凰宝衣
南宮智が百年前、金軍を威嚇するために打造した無敵戦甲・鳳凰宝衣。西武林ルートでは南宮深が装著する場面が見られる可能性がある。豪華絢爛、威風堂々、刀槍も通さず。さらに火まで噴き出す。豪華さゆえに南宮一族の頭に問題があるのではないかと思わせるほど。さらに専属BGMまである!
肩甲の支持者を見るだけで胆を冷やし、戦意を失う。
風流韻事
南宮世家は皆、風雅な人々である。文も学び、武も学び、四芸皆通で、最も風流を好む。たとえ名聞を顧みて身を清くしようとも、やはり曲を聞いたり、小娘の柔らかな手に触れたりしてこそ、その気が済むのだ。このため、風流韻事は数多い。
南宮遠
南宮遠はかつて上官隼の魔掌から、江湖第一美人である楽伎温夫人を救い、美人の心を獲得した。しかし南宮遠はその感情を拒絶し、重傷の友人温無畏に譲った。
温無畏の死後、南宮遠は自責の念に駆られ、贈り物を携えて錦香宮を訪れた。鏡を取り戻すことを望まず、ただ償いたいだけだった。温夫人は惑乱の薬と琴の音で彼の心を乱し、彼を醜女と一夜の関係を持たせ、南宮淺が生まれた。数年後、その女は淺を連れて家に押し掛けたが、南宮遠はこれを好しとしなかった。
南宮遠は一日たりとも後悔しない時がなく、その時の言葉が本意でなかったと後悔している。だが温夫人の旧恨は消えず、二十年間南宮世家と錦香宮は不和である。
南宮深
南宮深と上官螢は幼い時から婚約があり、上官螢は天生麗質で、見る者皆惚れる。二人は無邪気で相性がよかった。しかし年を重ねるにつれ、彼女はますます美しくなり、また父の代わりに家業を主持した。一方、南宮深は単に大公子のままで、才能の差は著しかった。彼は自責の念に駆られた。そして上官螢の気炎を挫こうと、楽伎と交際し始めた。しかし風雅な人が楽屏ほどの才色兼備の女子に出会えば、どうして愛さずにいられようか。不注意にも彼女を身ごもらせてしまった。それゆえ江陵大戦の後、婚約を破談して上官螢を追放せざるを得なかった。さもなくば彼女の爆発的な気性で、真実を知れば人を打ち殺し、自ら命を絶つかもしれない。
二代にわたり楽伎に縁があり、共に女性を泣かせている。遺伝は偽りではない。
秘笈
備考
- 南宮家の使用人の給与は非常に高く、現代基準に換算すると、鳥熊の月給より高い。[3]
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原文はここを「知己知彼,就能百戰百勝」とする。孫子・謀攻篇で「知彼知己」と対になるのは「百戰不殆」(百戦して殆うからず=百度戦っても危地に陥らない)の方で、「百戰百勝」は同じ篇の別の句「是故百戰百勝,非善之善者也」(百戦百勝は最善ではない。戦わずして屈服させるのが最善)として、むしろ格下げされた命題として置かれている。本作の原文は孫子の二つの句を繋いだ言い回しになっており、日本語版はこの箇所を孫子の元の句に沿って「百戦して殆うからず」と訳している。 ↩︎
Facebook-原始鳥熊2023/7/21 ↩︎ ↩︎